令和元年も残り2日を残すだけとなりました。皆さんは年末をどのように過させていますか。新聞やテレビのワイドショーでは一年を振り返る番組やニュースにあふれています。そんな中で3日間の休暇をもらって人生で初めていつか行きたいと夢みていた米国メンフィスを旅してきました。我が人生の出会いにおいて比類のない宝、エルビスプレスリーがこよなく愛した街です。
メンフィスは米国の南部テネシー州にあって1910〜1930年代棉花産業で栄えた街です。今はFedexのスーパーハブを始め物流の大拠点となっています。もう一つメンフィスと言えば空港のロゴマークが音符からデザインされている如くアメリカン音楽の聖地でもあります。人種的に言えば、65%が黒人、州都のナッシュベルが白人の街でカントリーミュージックの都と呼ばれるのに対してメンフィスは「Home of the blues」と呼ばれています。クリスマス直前の日曜日、エルビスプレスリーの生誕地近く、テュペロにある教会のサービスに飛び入りで参加させてもらいました。そこはもう「Joy to the world』の世界、黒人だけの教会でゴスペルが説教と同化していました。
20世紀の半ば、アメリカが生んだポップミュージックは言うまでもなく世界に大きな影響を与えました。メンフィスではもちろんゴスペルやソウルだけでなく、カントリー、ブルース、ロックと様々なジャンルの音楽が流れていましたが、中でも1950年代に誕生したロックンロールを知らない人はいないと思います。ロックンロールの王様と言われたエルビスは1977年8月42歳の若さでこのメンフィスの地で世を去りました。今年はそれからちょうど同じく42年が経ったタイミング、私が旅に出た理由の一つです。メンフィスには彼の通った中学、高校、住んでいたアパート、レストラン、映画館、最初に大ヒット曲「ザッツオールライト」を録音したスタジオ、、、とゆかりのプレイスやストーリーが今もなお街中に溢れています。エルビスの死から5年後、20年間彼が家族、友人と住んでいた邸宅(グレースランド)が一般に公開されました。こちらは13歳からエルビスの音楽を聴き始めた私にとっては感慨無量、当時のオリジナルが至る所に残されていました。死後42年経ったあとこれだけのレガシーが保存されているのには驚きを隠せません。
さて、話をメンフィスに戻したいと思います。メンフィスを都市としてのブランドの視点から眺めてみると、その魅力はミシシッピー川のほとり、音楽とかつて栄えた産業の遺産、伝説、哀愁、郷愁といったエモーショナルな思いを味わえることです。トロリー電車や馬車も走ってるとは知りませんでした。米国の都市は一部を除いてダウンタウンの造りが似ているのですが、明らかにメンフィスにはある趣きがあります。一方、それ以上に感じたのは人の気配が少ない淋しさです。クリスマス直前の週末にも関わらず夜になってもダウンタウンに人がほとんど歩いていません。治安があまり良くないせいもあるでしょう。地元の方曰く、「今度暫くぶりに高層ビルが建てられる」とのこと、確かに新しいビルがとても少ない気がしましたが、根元の課題は人が集まらない、活気がないことではないでしょうか。
メンフィスにある20世紀初頭から半ばにかけてのアメリカンカルチャーの遺産や郷愁もこれからの人を惹きつける新しい魅力が無ければ、レガシーもレジェンドも今後維持できなくなってしまうと思います。ブランドが次の世代への価値創造が必須な理由と全く同じです。